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NL34巻4号 [2023.11]

追悼:内海成治先生(本会元副会長)

JASID名誉会員で、2011年から14年まで副会長としても活躍された内海成治先生(大阪大学名誉教授)が2023年9月16日に急逝されました。

JICAの国際協力専門員(教育分野)、アフガニスタン教育大臣のアドバイザー、大阪大学、お茶の水女子大学、京都女子大学等で教授を歴任され、日本の国際開発分野で大きな足跡を残されました。ここに生前の内海先生のご貢献に感謝し、安らかな眠りをお祈りいたします。 

佐藤仁


アフリカでの教育開発研究を先導された内海先生との思い出

1998年から始まった私のケニア通いにフィールド調査の要素が加味されたのは、内海先生が2000年にJSPSナイロビ連絡センターに赴任されことが契機になっています。

広島大学に着任したのが1997年で、その前にJICAに勤めていたこともあり、少なくないお付き合いはありました。大学で働くことになったものの、私にはフィールドでの調査経験が圧倒的に不足していました。

今のように大学が忙しくない時、先生が泊まる場所もあるというので、2000年9~10月の3週間ほどケニアへ行くことにしました。これが、今につながるケニアでのフィールド研究の始まりです。基本的に学生を含めた合宿調査でしたので、研究のことや世間話、朝から晩まで、話が尽きることはありませんでした。

この初期の頃、アフリカの教育研究と言えば、日本では援助に関わる研究者の一部が細々と行っていました。学会で発表すると珍しがられたぐらいです。今日のようにアフリカの分科会が立ち上がるなど、考えられないことでした。

内海先生は、当時、センターのニュースレター「ふくたーな」(2000年6月発行)の編集後記に、「アフリカ研究の中では教育は非常にマイナーな分野ですが、国際協力では非常に重要な分野です」と書かれています。

時代は移り変わり、教育開発研究の中で、アフリカはメジャーな地域になりました。そのようなフィールド経験を経て、多くの学生が巣立っていきました。

2000年から2010年代前半までは、マサイの人々の暮らすナロック県の小学校をベースに調査をしてきました。2006年には「ケニア教育開発研究合宿」と称して、8名ほどの本学会会員の参加も得て(今では皆さん50代以上になっています)、1週間ほどの調査を合同で行いました。

ナイロビでの合宿生活に加え、平原にポツリとある小学校の寄宿舎に1泊した経験は、特に忘れがたい思い出です。シマウマやキリンが近くで見られることもありました。その後、イスラム圏のラム島や難民キャンプのあるカクマにもフィールドを広げていきました。

内海先生の訃報に接したのは、ちょうどナイロビで定宿としているアパートに滞在していた時でした。そこには、様々な調査用具に加え、一緒に購入した洗濯用のバケツや炊飯器もあります。

ケニアのご友人たちも一様に驚き、深く悲しまれていました。20年以上にわたるケニアでの調査生活を思い出すと寂しくてなりません。私自身を研究者として育ててくれたのも先生とのこの生活があったからこそです。

内海先生のまかれた種は、立派に成長しています。これからも私たちを温かく見守って下さい。本当にありがとうございました。

澤村信英

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